いぬのはなし
FUNKY MONKEY BABYSを今さら聴いている。グッドメロディはいつまでもいつまでも色褪せぬもの。僕がやっていた音楽とは青森と島根くらい離れた音楽だけど、やはり良いものは良いのです。
FUNKY MONKEY BABYSの「ラブレター」という曲には
君の笑顔を見てると 胸が苦しくなるんだよ
こんな気持ちなんて何も知らないだろうけど
今日も僕は願ってる 瞳を合わせて笑えるように
というフレーズがあるのですが、この歌詞を思い浮かべるとうちの実家の犬を思い出します。何故でしょう。
きっと犬という生物は愛をまっすぐ、躊躇いなく伝えてくれる生物だからでしょう。純粋な、それは純粋な愛。
これがうちの犬。お座りしたら足のグリップが効かず必ずこうなる。決して
山下達郎のファンではないはず。
僕は自他ともに認めてくれや頼むぜおいってなかんじの愛犬家です。うちの犬でなくとも、犬という生物そのものが好きですし、人から好かれるよりも犬から好かれることのほうが多い(これが仕事に活きたりするのです)ので、きっと僕も犬なんだと思います。
うちの犬も、1日に29回くらいイタズラをしかけてくるライアーゲーム気質なとこを除けば無敵。愛の権化。
で、僕が今回書きたかったのはどうしようもないくらい私信なのですが、書かずにいられなかった。
僕がすごく信用している大人が、手塩にかけたワンちゃんと最近離ればなれになりました。詳しい事情も書かないし、色々な決断が交錯してるだろうから言及も避けるべきでしょうが、ひとつだけ。
今、間違いなく彼の気持ちを察したらバラバラに千切れてしまいそうなんだろうなと、それが苦しいくらい、わからないようでわかる。わかるようでわからない。もうこればかりは彼にしか100%はわからない。
もし僕が近くにいたら朝までギターで遊びながら一緒に泣かせていただきたい。これは僕の自己満足だけど。
もう家族であり一部。恋人であり親友。そういう親密さといとしさで溢れさせてくれる動物が犬です。それが死別でなく、育てるのを生業にしてるわけでもなく、引き離される。
覚悟してたから耐えれるものじゃない。そもそも別れは予定調和では辛すぎるのです。
こんなことを書いて、また気落ちさせたらと悩んだりもしますが、僕は彼に沢山助けられてきたから。この駄文で伝えるのは本当に申し訳ないんですけど
僕は時間が経っても距離があっても、あなたの味方で在り続けたいですよ。コニシさん。