バンドをはじめたきっかけのはなし
こんばんは。
柄にもなく2日連続で書いちゃいます。
これは何度も言うが日記ではない。ではコラム…?エッセイ…?高橋一生…?
まぁ付き合ってくれ。お礼といっちゃなんだが小学校の給食で出た醤油の小袋をハサミで切るの失敗したのが積み重なって尋常じゃなく錆び付いたハサミあげるから。
僕がバンドをはじめたのは高校2年生の時でした。
僕は両親から愛を持って育てられ(それは今も切に実感している)人が裏切る生物というのを知らずに育ちました。マジに。
小学生くらいまでは本当に人生楽しいことしかないと思ってて、それはウォータースライダーで尋常じゃないスピードを叩き出すデブくらい快調な滑り出しでした。
ただ、中学生あたりから色々確変があり、気がついたら友達はいない、嫌われまくる、カイジは地下労働してるといった有り様で、当然高校生になったらそれがさらにヒートアップするわけです。
ましてや、衣が真面目キャラなもんだからクラス委員長なんかになっちゃって、余計高校デビューをしたい女子からは嫌われていきました。嫌われてる、友達少ない、キモいという三拍子を兼ね備えたドラフト候補生になったわけです。
そんな折、友達からバンドに誘われました。彼はギターをやってて、お前は歌でいいから入ってくれと。僕はタダでカラオケいける、やったー!くらいにしか考えてなかったわけですが、その友達はこう言うわけです。
「お前は嫌われてるから、学祭は出ないでおこう」と。
なんというアインシュタイン的な発想。僕は心から感服してました。これマジに。
むしろ優しいなくらいに感じてました。
そんな彼、肝心のギターの腕前はお世辞にも上手いとはいえない。というか、アスファルトをおかずに飯を食うくらい厳しい。つまり、絵に描いたような全員初心者スタートだったのです。
さすがに僕もまずいと思い、父親にギターを借り、とりあえずCとGとDとAmだけめちゃくちゃ練習しました。
ただ、課題曲がギターの好きなレミオロメンの「粉雪」で、イントロがいきなりGadd9で始まることだけが誤算でした。
それでも、なんとか気がついたらメンバーは5人になり、そして超音速で2人になってました。
残ったのは僕とドラム。初期ストレイテナーも裸足で逃げ出す状態。
そもそもが遊びでなんとなく集まってるバンドなんてこんなもんで、結局部活みたいにちゃんと練習するのがダルくなるのです。この気持ちはよくわかる。
しかし、当時の僕は許さなかった。1ヶ月間もGadd9練習したんだぞ!!!!!
そして決意。学祭に出よう。学祭に出て、世界中から嫌われてもいい。とにかくムダだと思いたくないと。
カッコいいね。好きになってもいいよ。
そしてドラマーの下川くんというスーパーアルティメット坊主と、1ヶ月間練習した「粉雪」でなく謎にBUMP OF CHICKENの「アルエ」とウルフルズの「バンザイ」をやるに至るわけです。
多分高校の先輩であるプリメケロン(という札幌のめちゃくちゃいかすバンド。アルバムリリースおめでとうございます)の古谷さんは「こいつめちゃくちゃ嫌われてるくせに、いぇーい、君を好きで良かった…?」等と思っていたんだと推察します。
ただ、この学祭をきっかけに周りの目が穏やかになり、徐々に学校にも馴染み始め、卒業式も遅刻したのはたしかです。
音楽をやらなかった自分なんてもう想像も出来ないけど、あの時の僕に会ったら伝えたいですね。
「粉雪はやれよ」と。