音楽イップスのはなし

 

 

こんばんは。ついに令和になりましたね。

平成の終わり、半年ぶりに高熱を出しました。風味堂のアルバム「風味堂3」にも「半年ぶりのcome back」って曲あるしね。そりゃきますよね。そしてつづりあってる?学がないからそりゃ心配。

 

そしてこのコラム、もう書かないんじゃないかと思ってました。僕が僕を信用できなくなるくらい忘れてた。もうこのお馬鹿。

 

それも前回までは僕のバンド遍歴という苦手な上司の家のカーテンの柄くらい誰しもが興味ない話題だったんですね。もし続きを書くとしたら疾走の理由というバンドの話なんですが、このバンドの話は長くなります。なんせめちゃくちゃ仲悪かったから。

 

僕は彼らに「音楽やってなくてもずっと友達だから」と言ってあったのに、ギターのマサキユはフルアルバムがタワレコに置いてあったぞ。彼のセンスに気づくのが遅すぎるぞ世間。まぁ彼のセンスを発揮させられない僕のソングライティングにも多少問題はある。というかさくらいさんが良いんだな。うん。僕もちょっと良いの。ちょっとね。

 

さて、表題の件です。ちょっと真面目な話。

 

久しぶりに、青木くんとボブとLINEをしました。言わずもがな、青木くんはもう8年近く会ってないのに私の母親から大好評の青木くんで(マザコンとしては静かな嫉妬を燃やすしかない)ボブはブラジル人です。この二人が僕の今現在組んでるバンド「虎を放つ」というめちゃくちゃ良いのに人気がミドリムシよりややないバンドです。めちゃくちゃ良い=人気に決まってる、という正論おじさんには賄賂で黙らせます。

 

僕は大阪に来て8ヶ月経ちました。8ヶ月というと気の早い芸能人だと結婚するくらいの期間でして、その間じゃあ僕はどう音楽してたか。曲は何曲書いたのか。

 

申し訳ない。ほぼなにもしてません。曲はまるで書いてません。せいぜい会社の飲み会で弾き語りで山崎まさよし歌ってるくらいです(なんならやんややんやの飲み会で「いつでも探しているよ~どっかに君の姿を~♪」だから若干ひんしゅく買ったくらい)

 

こんな僕にも、僕の歌を待ってくれてる、楽しみにしてる、という方が少なくとも保険金目当てじゃなくいることは身に染みて承知してます。

 

ただ、北海道で音楽をやっていた僕は正直、常に焦っていました。なにせ自分では半端じゃなくグッドメロディメーカーだと思ってましたし(今も思ってる)、良い歌をうたえる人間だという自信もありました(音程はそこら辺の犬くらいしかとれないけど)

 

けど、ある一時を境にそれが今一つお客さんに届かない、下世話な言い方したら売れない実感に変わってました。

 

そもそも僕は聡明なる父上から「音楽でプロになるのは、医者になるより難しい!」とレモン800個分の口酸っぱさで教えていただいていたので、プロになる気など基本的にはございませんでした。(一瞬うぬぼれた時期はぶっちゃけあったけど)

 

しかし、いくらインディーズバンドでも、集客というのは鍋の具でいうと白菜くらい大事でして、その集客を意識するようになるとジレンマに陥るのです。

 

じゃあ何のための、誰のための?って。

 

そう、集客のできていた頃は胸を張って自分のための音楽だと言えるんですが、集客がない時期ってつまりノルマも全部被るし、そもそも聴かせたい人がいなかったりするじゃないですか。それなら圧倒的にスタジオやカラオケのほうが安くて効率的なんです。自分の為を思うなら、もっと動画配信だったりパフォーマンスの軸の転換が必要だったり。

 

僕はここまで極論じゃなかったにしても、ほぼ音楽イップスに陥ってました。僕のうたは、もう響かない。

 

でね、話は戻るんですが、青木くんとボブとLINEしていて、彼らが言うんですよ。バンドやりてぇなって。

なんでか、とたんに自信が溢れてきまして。「あっ。そうか。」と。

 

僕はやりたい人とやりたい曲をやる。こんな当たり前の納得を今になって出来てしまいまして。メロディもポンポン浮かぶ。浮かんでは「あっ、これ矢野顕子だ!」とパクりを認める。今こんな状態です。

 

なので、一応宣言だけさせてください。いつになるかわからんけど、虎を放つすげぇのやります。それがうけなくても、まぁいいやって。だから気長に待ってたり待ってなかったり見つめあうと素直にお喋りできなかったりしてください。

 

僕は、歌も、音楽もとっても好きだから、今までと向き合い方が変わってきてるだけで、きっと皆さんにお届けできる日が来ます。

 

それでも待てない人はあみんの「待つわ」聞いて耐えるか、僕に個人的に連絡くれたらカラオケであなたの好きな歌をうたった動画送ります。

 

なんか、本当に糞みたいに支離滅裂な文で見ている人も大変だろうけど、青木くんもボブも人柄含め最高のプレーヤーなんで、そこもひとつ宜しく。そして惜しくも脱退した村上さんはずっと僕のお兄さんです(勝手に)

 

人柄含めルックス、稼ぎ、ファッションセンス諸々自信がないフロントマンとしては、良い歌をちゃんと聞かせられる日をお約束して、今日はおやすみ。

 


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でもボブ最近電話くれないからやっぱりいやだ。

Strangelandのはなし

 

 

こんばんは。

ついに英語のバンド名が出てきました。西洋かぶれです。明治維新前だったら尊皇攘夷派の武士に斬られていたことでしょう。

 

わたし、GRAPEVINEというバンドが大好きでして、どのくらい大好きかと申しますと小学生の時のブランコの立ち漕ぎくらいです。もしくは蕎麦にかける七味くらい。

 

ここから組むバンド名はすべてGRAPEVINEにまつわる名前にしてまして、これはGRAPEVINEサイドから訴えられたら即敗訴になるっぽい雰囲気も醸し出してます。

 

ちなみにアルバム「真昼のストレンジランド」より拝借。(このアルバムはピカロという曲がめちゃくちゃ良い)ストレンジランドを英語表記にしたのは前の記事でも登場した青木くんです。そう、あの「小樽行こうぜ!」って誘ってきて車で小樽まで行ったあとに「小樽でなにするー?」って聞いてくる青木くんです。

 

このバンドは初めてのオリジナルバンドになりました。とは言え、実は最初はTRICERATOPSコピーバンドをやる気満々で組みました(GRAPEVINEやれよ)

 

「FEVER 」や「赤いゴーカート」等を練習しながら「あいつこそ札幌の和田唱だ…」とベトナムで2人くらい言ってくれてるかんじだったある日、あれはたしか初ライブ一週間前だったと記憶してます。思ってしまったのです。

 

「オリジナルやりてぇ」

 

そこからメンバーを説得。メンバーは絶対無理だ!と強めに反対しましたが、お願いダーリンプリーズとYAZAWAっぽく7分くらいお願いしたら折れてくれました。

 

ちなみに、その時のメンバーはベースイマケン(アスファルトボーイとかいう意味不明な短い短パン穿いてサングラスかけてる男くらいダサいバンド名のバンドのベース)、ドラム青木(実家の犬に吠えられまくる)、そしてギターにイマケンの友達のけいちゃん(Mr.Children桜井さんのような菩薩スマイル)と僕(キモい)の4ピースでした。

 

今でも覚えてるが、初ライブは恵庭の島松という場所で、2日で6曲つくったはず。どんな天才集団だと情報だけでは思っちゃうな。

 

聡明な読者ならお気づきかと思いますが、当然めちゃくちゃなはちゃめちゃなライブでした。NYなら蜂の巣にされてたと思います。

 

ただ、数少ないお客様にご支持いただけた「リリィ」(スピッツの「僕のギター」という曲を聴いて浮かんだ、スピッツらしさ皆無の曲)「まぼろしまぼろし」(グラタンって言いたいだけで書いた曲)あたりはこの時に書いた曲ですね。

 

このStrangelandは、とにかく影響を受けやすいバンドでして(というか作詞作曲の僕がそうだったんだね)ストレイテナーかっこいい!ってなったらストレイテナー研究して、アンチェインかっこいい!ってなったらアンチェイン研究して…そんな風に曲が増えていきました。

 

途中、けいちゃんとイマケンの脱退はあったものの、新しいギターのたいちゃん(なんかもう悲しいくらいいいやつでした)加入なんかもあり、このバンドも1年強続いたかんじです。

 

そう、初めてレコーディングしたのもこのバンド。当時死ぬほど背伸びして大変優秀なエンジニア様にお願いして、ボロクソに言われて自信を失い、発売したその翌日には無料配布に切り替えるという被災地でもそんな商売しねぇよCDを作ったのでした。

 

 

結局トータル10曲ちょっとを(覚えてないのもあるけど)オリジナル曲としてステージで披露したわけですが、この中でも今でも弾き語りする曲があったりするので、なんだか不思議ですね。

 

個人的には「藍色」という曲を産み出せたのが嬉しかった時期です。「ナイトフライト」も良い。自分の曲だから当たり前だけど、どれも良く聴こえるやね。えへへ。

 

 

思い出すと苦しいこともたくさんあったけど、バンドっていいね。
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Strangeland時代の青木と僕。

最近もLINEしてました。幾つになっても仲良しでいたいね。えへへ。

 

カノープスのはなし

 

 

前回から約1週間も空いた為、数少ない読者は「辞めるのはやっ…」と最初からありもしない期待をより無くしはじめた頃でしょう。

 

大丈夫、安心してくれ。僕もだ。僕も完全に辞めるのはやってなってた。別に辞めたから誰に責められる訳でもあるまい。僕のこんな書き物より電気グルーヴの音楽に罪はない論争してるほうがよっぽど良い。

 

しかしながら、もうちょい続けてみようと思います。最近会社の女性に「好きなタイプは?」と聞かれて「うちの犬が可愛くて仕方ないから、別に女性のことはいいんです!」と答えたら「…えっ?」って言われた僕の会社での立場が続かなかった、その腹いせです。

 

ちなみに、上記の「…えっ?」は寄生獣というマンガの中で、だんだん精神的にも強くなる主人公シンイチに対し、シンイチの父が「お前、ひょっとして鉄で出来ているんじゃないのか?」という言葉に対してのシンイチの「…えっ?」くらい「…えっ?」でした。

 


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さて、今回はカノープスのはなし。とは言っても惑星でもドラムメーカーでもない。僕が前の記事で書いたアスファルトボーイ(両手手放ししながらチャリを漕ぐのがアイデンティティみたいな顔してる大学生くらいダサい)の次に組んだバンドです。

 

僕が大学の1年生の時に組んでたコピーバンドです。カノープスというバンド名の名付け親は青木くんでした。後々、虎を放つというバンドでも僕の後ろでドラムを叩いてくれる好青年。

 

とにかくこの青木くん、イケメン、高身長、オシャレ、お菓子つくれる、運転うまいという欠点らしい欠点が猫アレルギー疑惑しかない男でして、それは高校生の時に遊ぶ約束して、恵庭駅で集合したあと合流できた喜びでそのあと4時間恵庭駅から離れたがらないくらいの素晴らしさ。

 

多分彼のことを悪く言う人なんて世界に恵庭駅のキオスクの店員くらいだと思います。

 

 

そんなカノープスthe pillowsのコピーをやってました。pillowsを選んだ理由は本当にたまたまで、ただただかっこよかったからです。別にファンとかではなかったんですが、強烈な引力というか。ブスブスブス、ひとつ飛ばしてブス! 飛ばしたのは新垣結衣!みたいに、ついつい目がいっちゃう。そんな引力だったように思います。

 

 

僕はこのカノープスで得たものが二つあって、一つは他バンドとの合流でした。僕がTHE サラダ三昧(現アルクリコール 当時はアジカンのコピーやってた)や他大学のサークルでバンドやってる人と知り合えたのもこの頃。

 

もう1つは、歌。コピーだから、歌い方やメロディも正確にコピーしよう、というタイプのボーカルもいるでしょうが、残念ながら僕は音痴で、しかもMr.Childrenが好きなボーカルだったので必然的にメロディを崩して歌いがちでした。

 

しかし、それを身体を揺らして聴いてくれる人がたくさんいて。僕はその時、自分の良さを伝えるときは型にハマりすぎてもダメなのかも、ということを学んだような気がします。そしてもっと歌が好きになっていきました。

 

だから、小学生の時の音楽の時間で、合唱が終わったあと「ちゃんと歌えよ! 口開いてねぇんだよ合唱なんだよ!!!」と怒られ「うるせぇ音楽も歌も嫌いだバーカ!!!!!!!」ってなってた僕から見るとすごい進歩。

 

カノープスも、色んなことを学んだ貴重な1年でした。そしていよいよ、次のバンドからオリジナル曲をやるに至るのです。

 

そして26歳の僕は石崎ひゅーいのコピーバンドをやりたい。また、恵庭駅で待ってみようかな。すごく爽やかな顔でまたバンドやってくれるかも。そしたら僕は彼にきっとこう言えるだろう。

 

恵庭駅の暖房暑いから、ちょっと別の場所行かない?」って

アスファルトボーイの話

 

 

タイトルを見て「は?意味わかんねぇし消えろや」と思った人もいるだろう(そもそもそんなにこのコラム?を見てる人も少ないんだけど)

 

今さらながら自己紹介しておくと、僕はバンドをやっています(やっていました、じゃないのは僕なりの矜持です)。売れるとか人気あるとかは全く度外視の、数少ないお客様に支えていただく素人バンドです。まぁ、素人なのは僕で、メンバーはとても優秀なプレイヤーばかりなんだけど。

 

ふと、今までやってきたバンドを振り返ろうかなと。そんな回顧を。多分「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」と言いながら元カノを振り返ってしまう槇原敬之の倍くらいの振り返りです。

 

前の記事でも書いたけど、僕は高校2年生の時にバンドを始めました。苦々しくも一応成功をおさめた学祭を経て、結局そのままバンドを続けることになりました。

 

スーパーアルティメット住職、下川くんというドラマーと僕の二人きり。ある日最寄り駅から家まで30分の道をテクテク歩きながら(僕と下川くんは小学校から一緒なのです)まずはバンド名を決めようという話になりました。

 

僕は、Mr.Childrenみたいに2単語であること。また、レミオロメンスキマスイッチみたいにメンバーがそれぞれ持ち寄った単語をくっ付けてそれっぽくなるあのかんじがやりたいと提案。自分の娘が産まれたら「ミルクちゃん」とか名付けそうなくらい名前に頓着無さそうな下川くんも頷いてくれました。

 

その結果、たしか「過酸化水素」「ブレーキワイヤー突撃部隊」等の候補があがりました。もうダメでした。

 

結局、考えることを放棄した下川くんが「あー…アスファルト」とポツリ呟いたのを無理矢理単語くっ付けてアスファルトボーイになったのです。

 

この上はジャケット、下はふんどしみたいなナンセンス。当時はダサいなと思ってましたが、今考えると本当にダサい。友達の前だけイキッて自分の母親のこと「クソババア」とか言うくらいダサい。

 

とはいえ、スタートしたこのバンドは後々イマケン(ex.ハウアユース)というご飯を幸せそうに食べる牧師っぽい人を加えた3人編成で卒業までやりました。 

 

ずっとコピーバンドでしたが、「このバンドのコピーをやろう!」と言うものでなく、気に入った曲をやる。なのでライブのセットリストが

バンザイ/ウルフルズ

歌うたいのバラッド/斉藤和義

バクチダンサー/DOES 

POP STAR/平井堅

みたいになることばかり。しかも僕がギター下手くそだから、ギターソロ弾けないかわりに吹けないブルースハープを買ってソロをするという、本当にバカ丸出しのバンドでした。

 

ただ、やりたい曲をやろうというコンセプトは、この後にオリジナル曲をやるに当たっても僕の核となる考え方になっていくのでした。

 

上手くもないし、暑苦しい男3人のバンドでしたが、周囲の理解もあり、だいたいは楽しくライブできていたなぁ。

 

「電車賃浮かしたらマジ楽しくね?」とスタジオのある街から最寄り駅まで約15キロを歩いて帰ったら、翌日のライブでエフェクター踏んだ瞬間に足吊ったりもしてたなぁ。

 

ちなみに、バンドを始めるきっかけになったレミオロメンの粉雪は、まったくやらないまま終わりました。

 

あの1ヶ月練習してまったく人前に出なかったGadd9は、今あなたを幸せにしているのかもしれない。

 

そんな本日は、3月9日。

 

まったくGadd9出てこない。

私たち、別れても友達でいようね…のはなし

 

だ め で す ! ! !(突然の終了)

 

 

あくまで個人的見解です。文句は事務所通してください。

 

そもそも僕は「男女の友情マジチョベリバ➰⭐」論は信じていません。

正確に述べるなら、「物凄く相性の良い男女のペアかつ恋愛に発展しないペア」は存在するでしょうが、それは親愛だと思うのです。

 

常夏の極論ベイベーを申すなら、男友達二人が全裸で同じ布団に入ったら、あらゆる観点からアウトオブデラックスですが、一点だけギャグとしては成立します(このあたりは僕の頭のネジが足りていないからか) 

しかし男女二人でそれをやってしまうと、いくら普段はそっけなくも付かず離れずの関係を築いてきた幼なじみも、途端に「南を甲子園に連れていく」どころの騒ぎじゃなくなります。

 

話を元に戻しますが、カップルが友達に戻る…というのはとても(僕の価値観では)非現実的なのです。だって友達では到底見ることが叶わない景色や知り得なかった情報を得てる後ですから。

 

ざっくり言えば互いの人間関係やら金銭勘定やら、セクシャルな部分をさらけ出せるのが恋人なら、最初から友達という関係には戻れないことを覚悟したほうが良いはず。

 

かの中国の詩仙、杜甫もこう語ったはずです。

 

ダンスダンスレボリューションってなんで踊ったあと、いたたまれない空気若干流れるんだろうな…」

 

って。

 

つまり、「こいつめっちゃ好きなんだよな、なにか間違えてたら付き合っててもおかしくねぇよな」状態を世間では男女の友情と置き換えて表現してるんじゃないかなぁと。

 

だから、僕が言いたいのは大きく分けると2点。

 

1点は、恋人というのは、だからこそ尊いはずなんだということ。

 

もう1点は、あんなに無敵キャラっぽく登場したのにすぐ雑魚キャラみたいになったワンピースのスモーカー大佐をみんな忘れないでくれってこと。

いぬのはなし

 

 

FUNKY MONKEY BABYSを今さら聴いている。グッドメロディはいつまでもいつまでも色褪せぬもの。僕がやっていた音楽とは青森と島根くらい離れた音楽だけど、やはり良いものは良いのです。

 

FUNKY MONKEY BABYSの「ラブレター」という曲には 

 

君の笑顔を見てると 胸が苦しくなるんだよ
こんな気持ちなんて何も知らないだろうけど
今日も僕は願ってる 瞳を合わせて笑えるように

 

というフレーズがあるのですが、この歌詞を思い浮かべるとうちの実家の犬を思い出します。何故でしょう。

きっと犬という生物は愛をまっすぐ、躊躇いなく伝えてくれる生物だからでしょう。純粋な、それは純粋な愛。

 



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これがうちの犬。お座りしたら足のグリップが効かず必ずこうなる。決して

 


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山下達郎のファンではないはず。

 

僕は自他ともに認めてくれや頼むぜおいってなかんじの愛犬家です。うちの犬でなくとも、犬という生物そのものが好きですし、人から好かれるよりも犬から好かれることのほうが多い(これが仕事に活きたりするのです)ので、きっと僕も犬なんだと思います。

 

うちの犬も、1日に29回くらいイタズラをしかけてくるライアーゲーム気質なとこを除けば無敵。愛の権化。

 

で、僕が今回書きたかったのはどうしようもないくらい私信なのですが、書かずにいられなかった。

 

僕がすごく信用している大人が、手塩にかけたワンちゃんと最近離ればなれになりました。詳しい事情も書かないし、色々な決断が交錯してるだろうから言及も避けるべきでしょうが、ひとつだけ。

 

今、間違いなく彼の気持ちを察したらバラバラに千切れてしまいそうなんだろうなと、それが苦しいくらい、わからないようでわかる。わかるようでわからない。もうこればかりは彼にしか100%はわからない。

 

もし僕が近くにいたら朝までギターで遊びながら一緒に泣かせていただきたい。これは僕の自己満足だけど。

 

もう家族であり一部。恋人であり親友。そういう親密さといとしさで溢れさせてくれる動物が犬です。それが死別でなく、育てるのを生業にしてるわけでもなく、引き離される。

覚悟してたから耐えれるものじゃない。そもそも別れは予定調和では辛すぎるのです。

 

こんなことを書いて、また気落ちさせたらと悩んだりもしますが、僕は彼に沢山助けられてきたから。この駄文で伝えるのは本当に申し訳ないんですけど

 

僕は時間が経っても距離があっても、あなたの味方で在り続けたいですよ。コニシさん。

バンドをはじめたきっかけのはなし

 

 

こんばんは。

柄にもなく2日連続で書いちゃいます。

これは何度も言うが日記ではない。ではコラム…?エッセイ…?高橋一生…?

まぁ付き合ってくれ。お礼といっちゃなんだが小学校の給食で出た醤油の小袋をハサミで切るの失敗したのが積み重なって尋常じゃなく錆び付いたハサミあげるから。

 

僕がバンドをはじめたのは高校2年生の時でした。

僕は両親から愛を持って育てられ(それは今も切に実感している)人が裏切る生物というのを知らずに育ちました。マジに。

小学生くらいまでは本当に人生楽しいことしかないと思ってて、それはウォータースライダーで尋常じゃないスピードを叩き出すデブくらい快調な滑り出しでした。

 

ただ、中学生あたりから色々確変があり、気がついたら友達はいない、嫌われまくる、カイジは地下労働してるといった有り様で、当然高校生になったらそれがさらにヒートアップするわけです。

 

ましてや、衣が真面目キャラなもんだからクラス委員長なんかになっちゃって、余計高校デビューをしたい女子からは嫌われていきました。嫌われてる、友達少ない、キモいという三拍子を兼ね備えたドラフト候補生になったわけです。

 

そんな折、友達からバンドに誘われました。彼はギターをやってて、お前は歌でいいから入ってくれと。僕はタダでカラオケいける、やったー!くらいにしか考えてなかったわけですが、その友達はこう言うわけです。

 

「お前は嫌われてるから、学祭は出ないでおこう」と。

 

なんというアインシュタイン的な発想。僕は心から感服してました。これマジに。

むしろ優しいなくらいに感じてました。

 

そんな彼、肝心のギターの腕前はお世辞にも上手いとはいえない。というか、アスファルトをおかずに飯を食うくらい厳しい。つまり、絵に描いたような全員初心者スタートだったのです。

 

さすがに僕もまずいと思い、父親にギターを借り、とりあえずCとGとDとAmだけめちゃくちゃ練習しました。

 

ただ、課題曲がギターの好きなレミオロメンの「粉雪」で、イントロがいきなりGadd9で始まることだけが誤算でした。

 

それでも、なんとか気がついたらメンバーは5人になり、そして超音速で2人になってました。

残ったのは僕とドラム。初期ストレイテナーも裸足で逃げ出す状態。

 

そもそもが遊びでなんとなく集まってるバンドなんてこんなもんで、結局部活みたいにちゃんと練習するのがダルくなるのです。この気持ちはよくわかる。

 

しかし、当時の僕は許さなかった。1ヶ月間もGadd9練習したんだぞ!!!!!

そして決意。学祭に出よう。学祭に出て、世界中から嫌われてもいい。とにかくムダだと思いたくないと。

カッコいいね。好きになってもいいよ。

 

そしてドラマーの下川くんというスーパーアルティメット坊主と、1ヶ月間練習した「粉雪」でなく謎にBUMP OF CHICKENの「アルエ」とウルフルズの「バンザイ」をやるに至るわけです。

 

多分高校の先輩であるプリメケロン(という札幌のめちゃくちゃいかすバンド。アルバムリリースおめでとうございます)の古谷さんは「こいつめちゃくちゃ嫌われてるくせに、いぇーい、君を好きで良かった…?」等と思っていたんだと推察します。

 

ただ、この学祭をきっかけに周りの目が穏やかになり、徐々に学校にも馴染み始め、卒業式も遅刻したのはたしかです。

 

音楽をやらなかった自分なんてもう想像も出来ないけど、あの時の僕に会ったら伝えたいですね。

 

「粉雪はやれよ」と。