Strangelandのはなし

 

 

こんばんは。

ついに英語のバンド名が出てきました。西洋かぶれです。明治維新前だったら尊皇攘夷派の武士に斬られていたことでしょう。

 

わたし、GRAPEVINEというバンドが大好きでして、どのくらい大好きかと申しますと小学生の時のブランコの立ち漕ぎくらいです。もしくは蕎麦にかける七味くらい。

 

ここから組むバンド名はすべてGRAPEVINEにまつわる名前にしてまして、これはGRAPEVINEサイドから訴えられたら即敗訴になるっぽい雰囲気も醸し出してます。

 

ちなみにアルバム「真昼のストレンジランド」より拝借。(このアルバムはピカロという曲がめちゃくちゃ良い)ストレンジランドを英語表記にしたのは前の記事でも登場した青木くんです。そう、あの「小樽行こうぜ!」って誘ってきて車で小樽まで行ったあとに「小樽でなにするー?」って聞いてくる青木くんです。

 

このバンドは初めてのオリジナルバンドになりました。とは言え、実は最初はTRICERATOPSコピーバンドをやる気満々で組みました(GRAPEVINEやれよ)

 

「FEVER 」や「赤いゴーカート」等を練習しながら「あいつこそ札幌の和田唱だ…」とベトナムで2人くらい言ってくれてるかんじだったある日、あれはたしか初ライブ一週間前だったと記憶してます。思ってしまったのです。

 

「オリジナルやりてぇ」

 

そこからメンバーを説得。メンバーは絶対無理だ!と強めに反対しましたが、お願いダーリンプリーズとYAZAWAっぽく7分くらいお願いしたら折れてくれました。

 

ちなみに、その時のメンバーはベースイマケン(アスファルトボーイとかいう意味不明な短い短パン穿いてサングラスかけてる男くらいダサいバンド名のバンドのベース)、ドラム青木(実家の犬に吠えられまくる)、そしてギターにイマケンの友達のけいちゃん(Mr.Children桜井さんのような菩薩スマイル)と僕(キモい)の4ピースでした。

 

今でも覚えてるが、初ライブは恵庭の島松という場所で、2日で6曲つくったはず。どんな天才集団だと情報だけでは思っちゃうな。

 

聡明な読者ならお気づきかと思いますが、当然めちゃくちゃなはちゃめちゃなライブでした。NYなら蜂の巣にされてたと思います。

 

ただ、数少ないお客様にご支持いただけた「リリィ」(スピッツの「僕のギター」という曲を聴いて浮かんだ、スピッツらしさ皆無の曲)「まぼろしまぼろし」(グラタンって言いたいだけで書いた曲)あたりはこの時に書いた曲ですね。

 

このStrangelandは、とにかく影響を受けやすいバンドでして(というか作詞作曲の僕がそうだったんだね)ストレイテナーかっこいい!ってなったらストレイテナー研究して、アンチェインかっこいい!ってなったらアンチェイン研究して…そんな風に曲が増えていきました。

 

途中、けいちゃんとイマケンの脱退はあったものの、新しいギターのたいちゃん(なんかもう悲しいくらいいいやつでした)加入なんかもあり、このバンドも1年強続いたかんじです。

 

そう、初めてレコーディングしたのもこのバンド。当時死ぬほど背伸びして大変優秀なエンジニア様にお願いして、ボロクソに言われて自信を失い、発売したその翌日には無料配布に切り替えるという被災地でもそんな商売しねぇよCDを作ったのでした。

 

 

結局トータル10曲ちょっとを(覚えてないのもあるけど)オリジナル曲としてステージで披露したわけですが、この中でも今でも弾き語りする曲があったりするので、なんだか不思議ですね。

 

個人的には「藍色」という曲を産み出せたのが嬉しかった時期です。「ナイトフライト」も良い。自分の曲だから当たり前だけど、どれも良く聴こえるやね。えへへ。

 

 

思い出すと苦しいこともたくさんあったけど、バンドっていいね。
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Strangeland時代の青木と僕。

最近もLINEしてました。幾つになっても仲良しでいたいね。えへへ。