アスファルトボーイの話

 

 

タイトルを見て「は?意味わかんねぇし消えろや」と思った人もいるだろう(そもそもそんなにこのコラム?を見てる人も少ないんだけど)

 

今さらながら自己紹介しておくと、僕はバンドをやっています(やっていました、じゃないのは僕なりの矜持です)。売れるとか人気あるとかは全く度外視の、数少ないお客様に支えていただく素人バンドです。まぁ、素人なのは僕で、メンバーはとても優秀なプレイヤーばかりなんだけど。

 

ふと、今までやってきたバンドを振り返ろうかなと。そんな回顧を。多分「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」と言いながら元カノを振り返ってしまう槇原敬之の倍くらいの振り返りです。

 

前の記事でも書いたけど、僕は高校2年生の時にバンドを始めました。苦々しくも一応成功をおさめた学祭を経て、結局そのままバンドを続けることになりました。

 

スーパーアルティメット住職、下川くんというドラマーと僕の二人きり。ある日最寄り駅から家まで30分の道をテクテク歩きながら(僕と下川くんは小学校から一緒なのです)まずはバンド名を決めようという話になりました。

 

僕は、Mr.Childrenみたいに2単語であること。また、レミオロメンスキマスイッチみたいにメンバーがそれぞれ持ち寄った単語をくっ付けてそれっぽくなるあのかんじがやりたいと提案。自分の娘が産まれたら「ミルクちゃん」とか名付けそうなくらい名前に頓着無さそうな下川くんも頷いてくれました。

 

その結果、たしか「過酸化水素」「ブレーキワイヤー突撃部隊」等の候補があがりました。もうダメでした。

 

結局、考えることを放棄した下川くんが「あー…アスファルト」とポツリ呟いたのを無理矢理単語くっ付けてアスファルトボーイになったのです。

 

この上はジャケット、下はふんどしみたいなナンセンス。当時はダサいなと思ってましたが、今考えると本当にダサい。友達の前だけイキッて自分の母親のこと「クソババア」とか言うくらいダサい。

 

とはいえ、スタートしたこのバンドは後々イマケン(ex.ハウアユース)というご飯を幸せそうに食べる牧師っぽい人を加えた3人編成で卒業までやりました。 

 

ずっとコピーバンドでしたが、「このバンドのコピーをやろう!」と言うものでなく、気に入った曲をやる。なのでライブのセットリストが

バンザイ/ウルフルズ

歌うたいのバラッド/斉藤和義

バクチダンサー/DOES 

POP STAR/平井堅

みたいになることばかり。しかも僕がギター下手くそだから、ギターソロ弾けないかわりに吹けないブルースハープを買ってソロをするという、本当にバカ丸出しのバンドでした。

 

ただ、やりたい曲をやろうというコンセプトは、この後にオリジナル曲をやるに当たっても僕の核となる考え方になっていくのでした。

 

上手くもないし、暑苦しい男3人のバンドでしたが、周囲の理解もあり、だいたいは楽しくライブできていたなぁ。

 

「電車賃浮かしたらマジ楽しくね?」とスタジオのある街から最寄り駅まで約15キロを歩いて帰ったら、翌日のライブでエフェクター踏んだ瞬間に足吊ったりもしてたなぁ。

 

ちなみに、バンドを始めるきっかけになったレミオロメンの粉雪は、まったくやらないまま終わりました。

 

あの1ヶ月練習してまったく人前に出なかったGadd9は、今あなたを幸せにしているのかもしれない。

 

そんな本日は、3月9日。

 

まったくGadd9出てこない。